3月22日、23日と和歌山の高野山に行って参りました。
今からおよそ1200年前に、弘法大師(空海)が
真言密教の根本道場として開創した地です。
標高約900メートル、33万坪の土地に
117の寺院(うち53寺は宿坊)が集う霊場です。
今は車やケーブルカーで行けますが、昔は厳しい山登りをして辿り着いた場所。
それも修行のひとつなんですね。
こちらが高野山入り口の「大門」。結界でもあります。
高野山の宿泊は、全て宿坊と言って、宿泊施設を伴うお寺になります。
写真は、22日の夕食。寺の精進料理です。若いお坊さんが支度をしてくれました。
一の膳、二の膳、三の膳。お鍋の中は、白菜と茸と豆腐です。
肉・魚・卵が無いので、足りないかな?と思いましたが
いやいや、むしろお腹いっぱいになりました。
そして、白いご飯の美味しいこと!水が美味しいからでしょうか?
大満足の夕食でした。
23日は朝7時に大座敷で宿泊者全員で朝食。
がんもどきの煮付けと小鉢が少々、味噌汁と白飯。
これまた美味しく、カラダの中が綺麗になるような気分。
高野山の観光系は8時からオープンなので、8時に出発。
ここは奥の院というところ。お墓は撮るものじゃありませんが、名所なのでパチリ。
ここには、日本史好きにはたまらないお墓が。紀伊徳川家はもちろんですが、
武田信玄、上杉謙信、伊達政宗、石田三成、明智光秀、豊臣秀吉、織田信長、
あとは浅野内匠頭に赤穂四十七士供養塔なんかもあります。
「死してなお永遠に生き続ける」という思想に、かの武将達は憧れたんですね。
織田信長なんかは僧侶の大虐殺をやったので近年までお墓がないと言われていたんですが、
ものっすごい地味なやつがぽつん、と見つかったそうです。
まあ、この辺の戦国武将は骨なんか見つかってない方も居るでしょうから、
後世に家臣や血縁者が作ったのかもしれませんね。
いずれにせよ4~500年くらいは経っているので凄いことです。
みなさんかなり立派な石を組んでいるんですが
昔は人力で四国から運んできたそう。(ので、中をくりぬいたりしているようです。)
それにしても、あれだけ敵味方で闘った人達が
死んで皆同じ場所に奉られるというのも、面白い話です。
今頃みんな揃って空海に説教されているんじゃないでしょうかねw。
見事な杉林とお墓を見ながら2キロくらい歩きます。その一番奥に弘法大師御廟が。
御廟橋というところから先は撮影禁止です。御廟の手前には灯籠堂という建物が。
天井一面に灯籠がつるしてあるなんとも幻想的なお堂でした。
中には白河上皇が献上したという「白河灯」と
祈親上人が献じた「祈親燈」が消えることなく1000年にもわたって燃え続けています。
さて、続いて・・・・
総本山の金剛峯寺、金堂などなど他にも色々ありますが、書くのに力尽きましたw。
山上にあるという性格上、落雷による火災が絶えず、ほとんどの建物が再建です。
江戸時代だったり、昭和だったり、いろいろですがそれもあって街全体が古い感じはしません。
もちろんそれだけではなく、どの建物も「現役」であることもまたその理由のひとつです。
ただの建物や風景としてではなく、今なお生き続けている霊場として
世界遺産に登録されたというのは非常に分かりやすいと思います。
とにかく、急に思い立って足を運んだ場所でしたが本当に行って良かったです。
下界とは10度近く温度差があって涼しいので、
夏に避暑地として行くか、あるいは絶景を求めて山桜か紅葉の時期に行くのがオススメです。
海外旅行も良いですが、日本人に生まれたからには
自分たちの事も知らなくちゃ!と思った旅でした。