- 作者: ゲーテ,Johann Wolfgang Von Goete,竹山道雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1978/12/01
- メディア: 文庫
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1774年の作。自身の失恋と友人の自殺を題材にしている一冊。
しかしここまで古典になると、ついつい文学史上でどのような影響を及ぼしたか
・・・みたいな話になってしまうので、そういうことは抜きで感想を。
「ご注意遊ばせ、お好きになっちゃだめなことよ」そう女友達に忠告を受けたのにも関わらず
ウェルテルはロッテに出会って一目で恋に落ちる。でも彼女には婚約者が居て・・・。
小説のほとんどをウェルテルが友人ウィルヘルムに宛てた書簡という形式をとり、
ウェルテルの独白で物事が進んでいく。
一部・二部の書簡形式に続く残りの1/3は「編者より読者へ」という形で
ウェルテルを取り巻く人々がどのように彼を捉えていたのかを描き出し、
物語の終焉、「ウェルテルの自殺」へと向かっていく。
メインはロッテへの恋愛感情を募らせ、次第に行き場を失っていく
その過程を描き出しているのですが、
ウェルテルの青春の苦しみはそれ以外にも多岐にわたっています。
信仰、神、運命、生と死、愛、美、人間、身分、才能、業・・・
多感な時期に誰もが感じたであろう抑圧ややり場のない怒り、無力感、
そういったもの全てをウェルテルが代弁し、
全てを内に抱え込んで命を絶つという最後を迎えました。
小説が刊行された当時はセンチメンタリズムの全盛期でもあって、
この小説の登場で自殺が流行って「精神的インフルエンザの病原体」なんてことも言われたとか。
なんということだろう、少々ばかりの力と才能とを持った連中が、
得意然とぼくの面前でおしゃべりをしているのに、
ぼくは自分の力と自分の才能に絶望しているんだから、
神様、あなたは私にいっさいを与えてくださったが、
なぜあなたはその半分を差し控えおいて、
その代わりに自信と自足を下さらなかったのでしょう。
-中略-
たしかにわれわれは万事をわれわれ自身に比較し、
われわれを万事に比較するようにできているから、
幸不幸はわれわれが自分と比較する対象いかんによって定まるわけだ。
だから孤独が一番危険なのだ。ぼくらの想像力は、自分を高めようとする本性に迫られ、
また文学の空想的な映像に養われて、
存在の一系列を作り上げ、われわれはその系列中の一番下くらいにいて、
われわれ以外のものは全部われわれよりもすばらしく見え、
誰もわれわれより完全なのだというふうに考えがちだが、それもさもあるべきことと思う。
ぼくたちはよくこう思う、ぼくらにはいろいろなものが欠けている。
そうしてまさにぼくらに欠けているものは他人が持っているように見える。
そればかりかぼくらは他人にぼくらの持っているものまで与えて、
もう一つおまけに一種の理想的な気楽さまで与える。
こうして幸福な人というものが完成するわけだが、実はそれは僕ら自身の創作なんだ。
そういえば私も「私以外はみんなバカ」みたいに思っていた時期ってあったなー、とか
逆にその時期が過ぎると「私だけがバカ」みたいに自信が無くなっちゃったよなー、とか
いろんなことを思い出しつつ読みました。
でもウェルテルが思い悩んでいることを、
各方面の書評では「青春の・・・」と一言で片付けちゃってますが、私はそうは思いません。
青春時代の話じゃないだろ、これは、ということです。
人間生きて仕事をして恋愛をしてモノを考えている限り、ぶち当たる問題だと、思います。
人を恨んでみたり自分を恨んでみたり、自信過剰になったり自信が無くなったり。
一番最初に読んだ中学生の時より、
共感や理解がしやすかったというのもそういうことだと思います。
ところで後半クライマックス(ウェルテルが自殺を決心する出来事を誘発した出来事!)が
ウェルテルがロッテに詩を朗読するところだというのがさすがゲーテです。
普通、9ページも詩を書かないです大事なところで(笑。
そんな感じで、久々に読み返しましたが、なかなか読み応えのある本でした。
薄いからすぐに読めるかと思ったけれど時間がかかりました!