- 作者: 岡田暁生
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2005/10/01
- メディア: 新書
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マニアックに一部を深めるのではなく、流れをつかむことを目的に書かれたもの。
中世からルネサンス、バロック、ロマン派を経て現代に至るまでの概要。
物足りない感も否めないものの、著者の思惑通りに読めばよくまとまっていると思う。
個人に特化しないということでも、バッハはやはり長文になっているのだが
「バロック=バッハというイメージが強いが、実はちょっと違う」ことが分かり易く書かれていた。
美術が大衆化したのと同様、音楽も大衆化によってそのスタイルを変えていったのが19世紀。
21世紀には複製技術が発達・展開していったようなエキサイティングな変化が起こり得るんだろうか。
ドイツの著名な音楽史家ハンス=ハインリッヒ・エッゲブレヒトがいっているように、
「唯一の客観的な歴史(ザ・ヒストリー)」は存在しない。
「歴史」とは常に「私から見た歴史」であり、
「数ある可能な歴史のうちの一つ(ア・ヒストリー)」以外ではありえない。
-中略
もちろん「『歴史』は終わり、かつて『歴史』という形をとっていた知は、
今や『情報』に取って代わられたのだ」というポストモダン的反論もあるだろう。
だが私自身は「歴史的教養」の喪失は人文科学の自殺行為に他ならないと考えている。
似たような話は、ジャーナリズム(報道やドキュメンタリー制作)においてもよく耳にする。
「客観←→主観」という話は、議論し出すと禅問答みたいになってしまう問題。
まあ、「報道は客観でしかあり得ないから!」という思いこみで制作にあたっている人々より
著者のように「主観だし」と開き直って書いているほうが良いのかな。
つまりは自分の立ち位置を正しく認識することが大切だということでしょうか。